政策法務(実習)研修のまとめ

平成11年2月13日〜2月15日

はじめに
1.法による授権と行政権の行使
2.要綱の政策法務的運用、分権化に伴う要綱の条例化
3.条例による風俗営業等の規制可能性
4.地方議会の法的性質、法的権限
5.情報公開条例の比較検討
6.職員の責任と住民訴訟
感想

 

はじめに

 政策法務というのは最近使われるようになった用語で、自治体職員などの公務員の日常業務をすべからく法務ととらえ、行政運用の際に必ず必要となる法律的な作業のことを総称するようだ。従って政策法務研修とは、法的思考能力を身につけるための研修という位置づけが出来る。

 自治体の職員は普段から法律に親しんでいるように思われるかもしれないが、配属部課やその仕事の分量、また個人の意識や能力の差によってその習熟度はさまざまである。

 関係法令を全て理解することは到底出来ないことだが、行政運営には必要に応じて、法的な思考により適正な判断と手続きを行っていくことが重要であり、今回の研修は我々がこうした法務能力を身につけていくためのものだといえる。

 

 

1.法による授権と行政権の行使

事例1:漁港管理者であるU町が漁港水域内の不法設置にかかるヨット係留杭を法規に基づかずに強制撤去する費用を支出したことが違法とはいえないとされた事件

 ヨットをつなぐ杭を多数河川に打ち込んだため、近辺の漁民より河川の通行に大きな支障が出るとして苦情をうけるなどしたU町が、迅速な判断で同係留杭を強制撤去したため、その費用の支出が適法かどうかが争われた事件である。
 原審では町には撤去権限がない等の理由で公金の支出は違法との判断であったが、最高裁判決では違法とはいえないとの判断となった。

<最高裁の判断>
 県の設置許可を得ていない不法な工作物の設置に対する撤去命令を行う権限は、許可権限者である県に属している。一方、町では定めておくべき漁港管理規定が当時制定されておらず、仮に同設置物に対する管理権限が町に認められるとしても、漁港管理規定がないためその権限を適正に行使することが出来ない。さらに民法720条の緊急避難については、必ずしもその必要があったとはいえないとし、適用を否定した。

 しかし、同係留杭が漁船等の船舶航行に対して非常に危険である等の総合的判断から、町に広く公益に基づいた行政を行う権限を認め、民法720条の適用はないもののその法意に照らしてこうした一連の処置を妥当なものとし、そのために要した費用の支出を適法であるとした。


(議論)
 我々の間では、係留杭の強制撤去はやむをえなかったという意見とやはり違法であるという両方の意見が出た。違法に設置された係留杭のため船舶の航行に支障をきたしているという状況の一刻も早い改善のためのやむを得ない措置であったという反面、行政代執行法という代執行処分の厳密な手順を定めた法律がある以上、行政のこうした明文法に基づかない強制処分が許されるのか疑問でもある。

 しかし法律的なことを離れて考えれば、この事例は公金の支出に対するU市民からの住民訴訟であるが、訴えた市民は同係留杭を利用していた者らであり、知事の許可を得ずに同係留杭を設置したにもかかわらず強制撤去に対して「違法な公金の支出」という住民訴訟を提訴してきたものであり、こうした事情も最高裁の判断の一助になった可能性があるのではないか。また、いかに公金の支出がともなうとはいえ、こうした総合的な行政運営そのものに対する住民訴訟が認められるのかという議論もあるようである。

 一方、本事例では町が定めておくべき漁港管理規定がつくられてなかったため、問題が複雑になった。同規定があったら強制撤去出来るかといえばやはりそれも疑問であるが、結局同規定がなかったにもかかわらず最高裁でも「管理する任務を背負っていることにはかわりがない」旨の判断で、規定の有無は判決には直接影響しなかったが、行政運営上こうした必置規定が適法に設置されているか、常に気を配る必要があるだろう。

 

2.要綱の政策法務的運用、分権化に伴う要綱の条例化

 研修で用いた参考事例はあまりにも多かったため、省略する。
いわゆる行政指導の根拠となっている要綱が法かどうかということについて、いくつかの事例をとおして学んだ。

 北海道知事が産廃の設置を要綱に基づく行政指導により禁止したことが違法であるとされた事例があるように、本来要綱は単に行政運営の内規として扱われるものであり、それが処分性をおびた時、既存の法令と抵触することは許されない。ただし、給付行政等にみられるように、要綱に基づいた行政運営が住民サイドからみて法に基づいて行われるのとほぼ変わりがない効果が期待される場合があり、こういったケースは要綱による法の確認とか要綱の「法」化といわれ、法的な性質を強くもっている。

 こうした要綱による行政指導には限界があり、可能な限り条例化、規則かをすすめるべきであるが、国の法律と抵触する可能性があるなど現状では慎重な対応が求められるようである。機関委任事務が廃止されれば、こうした動きはもっと顕著になることが予想される。

 表題とは直接関係ないが、事例としてとりあげた産廃の設置許可のあり方については、現実の問題が身近にあることもあり、グループ内で問題点の確認を行った。

 北海道知事が廃棄物処理法15条の規定を満たしている申請者を裁量により不許可としたことは、当然訴訟になることも予想してのことであり、敗訴の可能性も十分考えていたと思われる。ただ、そういった場合でも北海道が設置に不許可で望んだことは、(対象となった業者には申し訳ないが)当時の廃棄物処理法では、産廃設置により今後予想されるトラブルに対処出来ないとの判断から、法律そのものを代えてもらうべくそのきっかけを作ったものともとれる。現に北海道の敗訴のあと、廃棄物処理法は平成九年にまた改正になり、環境保全基準なるものが導入された。

 産廃が必要なものであることには今のところ異論のないところであるが、設置に伴うトラブルが多数起こっているのも事実であり、この問題は総合的な行政運営により解決して行かなくてはならず、廃棄物処理法の改正といった目の前の対応もさることながら、今後産廃というものを国や自治体の総合計画の中にどのように位置づけていくかといったビジョンをはっきりさせていかなくてはならない。

 いずれにせよ、要綱に基づく行政指導は今後も必要であるとの見解にはほとんど議論の余地がなく、焦点はいかに法律の範囲内で適正に運用していくかということである。

 

 

3.条例による風俗営業等の規制可能性

事例説明:
 宝塚市と兵庫県伊丹市において、パチンコ店の建設に関し、風営法よりも強い規制を定めた条例を制定したことが、宝塚市の事例では違法とされ、伊丹市では合法とされた。

 判例では、市町村条例により風俗店の建設に風営法よりも厳しい基準を設ける可能性があることについては見解の相違がないようだ。判断の基準となっているのは、条例が違法とされた宝塚市では極めて広範な地域を新たな規制対象としたことが風俗店の営業規制にあたるため、その目的と規制手段が風営法と重なっていると判断されたことである。

一方の伊丹市では新たに規制を設けたのは学校及び通学路等の近辺だけであり、その目的等が風営法とは異なるため風営法に抵触しないとされた。
 この事例については、特に違法とされた宝塚市のケースにおいて意見が分かれた。

風営法と目的等を同じとしても、都道府県知事には地域に見合った条例制定権が付与されていることと等を鑑みて、市町村においても同様の条例を制定できる余地があると考え、判決を不適当とする意見がある。

 また、どちらのケースも地域環境等の保全ということでは制定した条例の目的は一致しており、その対象区域の広狭だけで違法かどうかの判断が出来るとは思えない部分もある。

 両判例には、判断の基準となったもっと別の要因があるのかもしれない。今回の2つの事例の判決を解釈すれば、条例によりどの程度の上乗せ規制が行えるのか、いちいち訴訟で確かめなくてはならなくなるのではないか。 

 

 

4.地方議会の法的性質、法的権限

事例1:町議会が議員に対し議員辞職勧告決議等をしたことが名誉き損に当たるとして国家賠償を請求する訴えが法律上の争訴に当たるとされた事例

事例2:普通地方公共団体の議会による議員の外国研修旅行の決定に裁量権を逸脱した違法があるとされた事例

 事例1のケースでは、議員辞職勧告決議というのは地方自治法135条に定める懲罰には該当せず、法的強制力をもたない。しかし議員という社会的地位に同決議が及ぼす影響は極めて大きいため、決議そのものではなく名誉毀損による損害賠償を請求した原告の訴えが最高裁で認められた(平成4年)。

 これについては、裁判所の判断がどこまで議会の自律的な運営に立ち入れるかという問題を含んでいる。議会の決議(地方自治法96条に定める議決事項ではない。)に裁判所が異論をはさめるのか、またこうした部分社会の問題は原則としてその中の自律的な運用にまかされているとするのが通説でもある。

 しかし、本事例やその他にも多く見られるように、特に市町村等の辞職勧告決議には感情的なものも種々みられ、場合によっては基本的人権の侵害ともいえる決定が下されることを鑑みれば、議会という住民の代表機関の正当性、公平性を維持するために裁判所の判断を仰ぐケースがあっても良いように思われる。

 事例2においては、地方自治体議員の海外研修旅行そのものを認める一方で、旅行会社に完全に行程を任せきりにし、なんら研修とはいえない旅行に公費を支出することは違法として旅行に参加した議員に対して、その旅費返還が命じられた。

 当然の決定であるが、さらに一部の議員らが現地到着と同時に売春ツアーのようなものに参加したことが、当事例における原告、裁判官らの心証を悪くしたことは想像にかたくない。

 こうした事件では損害を賠償をしてそれで終わりという今回のような結果が多々みられ、住民サイドとしては納得出来ない部分が残る。はじめから賠償する覚悟さえあれば、ダメ元で行ってみようかということになりかねないからだ。

 こうした不祥事を起こした議員が次の選挙で不利になるかといえば、現在の日本ではあまりそんなケースはみられないように思う。質の低い議員に責任があることもさることながら、それを選出してしまう我々も同じであり、ひいてはこうした面での先進諸外国に比べた日本社会のレベルの低さを証明しているともいえる。

 

5.情報公開条例の比較検討

 多くの自治体で情報公開条例が制定され、つい先日(平成11年2月)には国の情報公開法が衆議院を通過した。

 情報公開制度が出来たため、我々の県でも常に公開を前提とした仕事を進めるようになり、行政の公平性、妥当性がこれまでよりも格段に向上したように思われる。また、地方議会等においても、住民の監視の目があるという意識から、これまでよりも活発な議論が望めるようになったようだ。
 一方で、条例が出来たために情報の管理が厳密になり、これまでなら簡単に外部に公開出来た資料でも、正規の請求手順を踏まなければならなくなったり、個人情報にあたるということで公開出来なくなるなどの皮肉な例も見受けられる。

 また、一人の申請者による膨大な資料の請求のためその準備に概算で何百万円という人件費が必要な例もあり、申請を行う者にも適正な権利の行使が望まれている。

 研修では三重県のもの、ニセコ町のものなどを用いて条例の比較を行った。条例とは関係ないものの、ニセコ町では役場の課長会議までも一般職員に公開されており、各役職者は職員のもとでその資質をとわれ、結果として有能な者が確実に上にたつことが期待されるのでおもしろい運営であると思う。

 いくつかの条例を比較する際には、単に字句を比較することは重要な点を見落とすことになり、制度の優劣を論じるさいには、条例がどのように情報というものをとらえ、その適正な運用が行われるよう配慮されているかを考えていくよう指導があった。

 

 

6.職員の責任と住民訴訟

事例:虚偽の会議の名目で支出された公金の損害賠償責任

<最高裁判決の主旨>
 当該支出を専決した大阪府水道部課長及び当該地方公共団体の長等らは、国家賠償法に定める「当該職員」に該当する。しかし賠償については、「長等ら」については管理に過失がない限りその責任を問われない。従って、支出を専決した課長のみが賠償責任を負う。

(感想)
 当該支出が明らかに違法であり、課長が自らの指示により提出させた書類を専決して不法に支出をおこなったとしたら、課長が責任を負うのは妥当であり、まったくそのことを知りようのなかった同課長の上役らが賠償責任を負わないこともまた妥当であるように思う。

 しかし、今回の研修で口をすっぱくしていわれたことに、こうした事例では事実確認が徹底してなされたかが重要であり、不十分な事実確認により裁判が行われて不当と思われる判決が出されたケースが多々あるということがある。

 今回のケースでは誰かが(どこかの部課が)責任をとらなければならなかったのかもしれないが、事実としては気の毒な例である。

 すなわち、専決をした決済にからむ会議(接待)は昨年度のものであり、その会議の開催を決めたのは今回専決を行った課長ではなく、前年度の上役である。しかもこの慣習は長年続いていたものであり、この課長はまったくといっていいほど逃れられようのない支出決済をさせられて、一人責任を負わされる形になってしまった。

 こうした不幸な事例をおこさないためには、これまでは当然だった行政運営でも現在の常識に照らして真摯な目で見直しを行っていかなくてはならない。しかし多くの行政体のような古い体質の組織では残念ながらこうした改革は一朝一夕には不可能であり、我々はこうした組織の責任を負わされる危険を常におびているという気がしてならない。

 

感想

 研修のおかげで、公務員試験の時に勉強したようなことをもう一度復習することが出来たが、それ以上にいくつかのことを新たに学ぶことが出来た。

 一つは事実認識の大切さである。事件にはあまり表に出てこない重要な評価ポイントがあることがあり、正当な事実認識を欠いたまま法的思考をつみかさねれば、本来出てくるべき結論とまったくべつの結果が導かれることがある。

 また、こうした問題ではだれに責任があるのか不明瞭なケースや、どうにも気の毒な事例jも多いことが分かった。

 また、ドイツなどの諸外国の事例を紹介され、日本とはいろんな社会背景がちがう国の話であるとはいえ、興味深かった。特に自治体の職員となるには日本とは比べものにならないほど充実した研修をうける必要があり、向こうではいかに公務員に高い資質が望まれているかが分かった。(もちろん日本でも望まれるのだろうが、本当にそれを望むということはそのためのいろんな負担も強いられるということである。)
 
 研修では他の職員の方と議論、発表ということを行ったが、残念ながらそのレベルは高かったとは言えない。全員がそうというわけではないが、自分も含めてこうした研修で議論を行うには能力不足だったという感が否めない。

 まず、十分に宿題をこなせないため、議論の場が判例理解の場になり、発表の場が事例紹介の場になってしまうケースが多かった。宿題の質、量は確かに多すぎたように思うが、どうしても出来ない分量ではなかったにもかかわらず非常に多くの人が理解不足であった。

 また、議論でも論点を絞ることが出来ないことが多かった。勉強不足であること、議論に不慣れであること、またはその他の理由により、論点があいまいなため深い議論を行うことが出来なかった。

 いわゆるプレゼンテーションにいたっては、その不慣れさが際だっていた。聞き取りにくい話し方は論外としても、何を話したいのかはっきりしないため結局は何をいっていたのか理解しにくいケースや、議論の発表の場であるのにそのほとんどが事例紹介に費やされるケースも多かった。またメイングループの発表が終わった後に全く同じ内容のことをサブグループとサブサブグループが紹介するなど、発表により議論をふかめるよりも、単に事前にまとめた内容を発言するケースが非常に多かった。

 こんなことで、研修そのものは有意義であったが、逆に我々の組織のレベルがたいして高くないということを認識することにもなった。こうしたわれわれに責任あるポストが任されることは、私は結構心配でもあり情けなくも思っている。